東京高等裁判所 昭和35年(ネ)2155号 判決 1961年3月13日
控訴人(原告) 原田柳二
被控訴人(被告) 東京都知事
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、原判決をとりけす、被控訴人が昭和三十一年九月二十九日附で控訴人にたいしてなした東京都文京区駒込上富士前町三番地の二三、同所同番地の二四の各土地に関する仮換地指定処分および昭和三十四年二月十一日附で控訴人にたいしてした右宅地上の建物およびその他工作物に関する移転通知処分はこれをとりけす、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする旨の判決をもとめ、被控訴代理人は控訴棄却の判決をもとめた。
当事者双方の事実上、法律上の主張は控訴代理人において別紙「記」のとおりのべ、被控訴代理人において、「被控訴人は本件係争家屋を適法な手続により除却したものである」とのべたほか原判決の事実らんにしるすところと同じであるからこれを引用する。
理由
当裁判所は控訴人の訴を却下すべきものと判断するものであつてその理由はつぎのとおりつけ加えるほか原判決理由にしるすところを引用する。
(一) 控訴人は、わが訴願制度において訴願裁決庁が明瞭でないのは同制度全体を通ずる欠陥であり、その裁決庁がいずこであるかを法律的素養に乏しい訴願提起者に判別させるのは酷である上に、被控訴人は控訴人の数回にわたる陳情にたいし訴願手続の方法、なかんずく、裁決庁にたいしどのような手続を採るべきか指示するなど公務員としてなすべき義務をつくさなかつたのである。処分庁たる被控訴人がこのような態度で控訴人の陳情あるいは上申を拒絶している以上裁決庁にたいしたとい適法な訴願がなされたとしてもその結果は処分庁たる被控訴人におけると同様な裁決しか得られないことは容易に推認されるからかかる場合訴願を提起しないで本訴におよんだのは行政事件訴訟特例法第二条但書にいう正当な事由にあたると主張するけれども、かりに控訴人において本件の訴願裁決庁を知らず、また被控訴人において控訴人の陳情にたいし訴願裁決庁や訴願手続を具体的に教示するところがなかつたとしてもこれらの事実から直ちに控訴人が訴願する途を失つたとか訴願裁決庁の裁決があらかじめ推測されるとなすことはできないからそれらのことをもつていまだ本訴を提起するについて訴願手続を経ることを要しない正当の事由とすることはできないと解すべきである。控訴人のみぎ主張は採用できない。
(二) また控訴人は、原裁判所は、被控訴人がかりに控訴人にたいし、本件において訴願提起は不要な旨のべた事実があつたとしてもこれは訴願期間を遵守し得なかつたことの正当事由となるがこれをもつて訴願不提起の正当事由となし得ないと判示した。しかしみぎのように訴願が不要であると告げたり訴願手続を具体的に教示しなかつたのは被控訴人の過失によるのであるからこのような場合は訴願不提起の正当事由あるものと解すべきであると主張する。しかしかりに被控訴人が過失にもとずいて控訴人に訴願が不要だとか訴願手続を指示しなかつたようなことがあつたとすれば控訴人がこれによりこおむつた損害の賠償を被控訴人に請求する理由となし得べき場合の生じることが考えられるけれども、それをもつて訴願を全然しないで訴を提起できる正当の事由とすることはできないと解すべきであるから控訴人のみぎ主張も理由がない。
(三) 控訴人はまた、控訴人が本件訴を提起したのは本件仮換地指定処分後一年有余を経てからであつたのは事実であるが控訴人はみぎ期間中常に被控訴人にたいし本件建物移転処分の施行を延期するよう申請し、その努力を続けて来たのであり、したがつてみぎ事情からすれば本訴の提起が多少遅れたとしてもそのために訴願手続を経ずに本訴を提起しなければならぬほど緊急な損害の発生が迫つていたとはいえないと判断せられるいわれはないと主張する。しかしながら控訴人が建物移転手続施行の延期を被控訴人に申請していたというだけではこれをもつて、その間訴願手続を執る必要がなかつた事由とはなしがたいこというまでもないから、仮換地指定処分の通知後一年五ケ月以上また建物移転通知後八ケ月以上を経て始めて訴を提起した本件において、訴願をなす余裕がない程の損害の発生が迫つていたという控訴人の弁解はこれを容れる余地がないことおのずから明らかである。
(四) 控訴人は、原審において本件における訴願不提起の正当事由および本案に関する仮換地指定処分の違法事由を立証するため控訴人本人およびその妻を証人として各尋問せられたい旨申請したにかかわらず原裁判所がこれを却下したのはいわゆる唯一の証拠方法を取調べなかつた違法があると主張するけれども、原裁判所は本件を控訴人の主張自体により不適法と判断したものであるからそれ以上証拠調をなす必要がなく、みぎ措置にでたことはなんら違法でない。
(五) その他の控訴人の別紙主張は、あるいは控訴人の独自の見解にもとずくもので当裁判所の採用しないところか、あるいはすでに原判決において理由ないものと判示しているところであつて採用に由ないものである。
以上の次第で本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 牧野威夫 谷口茂栄、満田文彦)
(別紙)
記
一、原判決によれば、控訴人の仮換地指定処分及び移転通知処分の取消を求める本件訴は訴願手続を経ることなく提起され而して該訴願不提起につき行政事件訴訟特例法第二条但書にいう正当事由に該当しないこと明らかであるとの判断の下に右控訴人の訴を却下したものであるが、原判決は左記事由により前示特例法第二条但書の解釈を誤り又訴訟手続違背の違法が存するから原判決は取消さるべきものと確信する。
二、抑々訴願前置制度は沿革的には通常の行政権自らが事案の再審をなす権限を留保し行政権の自己統制及び行政監督の効果を得ようとする意味での一種の行政権の特権であり、この実際上の意義は行政権に一応の反省の機会を与えてその自主的な処理に期待することが行政権の地位を尊重することにあること、又他方訴願の段階を経ることにより多くの行政訴訟事件に対する裁判所の負担を軽減する点にその存在意義が存するものである。
然しながら右訴願前置の制度も、その前置さるべき行政手続が整備されていることが必要であり、然らざればこれを強制することは国民の権利救済を遅らせる以外何ものでもない事多言を要しない。そしてかかる見地よりすれば我が国の訴願制度が全体として不備不統一な現在の状況の下では(例えば如何なる場合に訴願を提起し得るか、或は訴願裁決庁が何処であるか明確でなく、又訴願期間が出訴期間に比しあまりにも短期である等)行政事件訴訟特例法に所謂「正当事由」を判断するに於ても当事者の手続懈怠は可及的に衡平の精神に則つてこれを判断すべきものと考える。斯る前提よりして以下控訴理由を開陳する。
三、控訴人は原審に於て訴願裁決不提起の正当事由として次のように主張した。
(一) 訴願裁決の結果が予測されたので訴願手続を履むことが徒労であつた。
控訴人は、被控訴人より本件仮換地指定処分の通告を受ける前後を通じ数回、被控訴人事務所を訪れ、右仮換地指定の違法なることを口頭或は書面を以つて陳情して右処分の撤回を求めた(昭和三五年二月一六日附原審原告準備書面一(一)御参照)。
然しながら被控訴人はこの陳情につき何等顧慮することなく被控訴人は一方的威圧的に事業の施行を仄めかすのみで控訴人に対し何等誠意ある回答をしなかつたものである。而して原判決はこの点につき控訴人の陳情或は上申は所謂処分庁に対する控訴人事務所に対してであつて裁決庁たる建設大臣に対してではないから、控訴人の右陳情が仮令被控訴人によつて顧みられなかつたとしてもそのため、裁決の結果が予測されたとするは控訴人の独論であると判示している。然しながら右陳情の相手方が裁決庁に対してでなく処分庁に対するものであつたとの理由で控訴人の主張を排斥した原審の態度は不当である。冒頭に述べた如く訴願制度を通じ訴願裁決庁が明瞭でないのは同制度全体に通ずる欠陥でありその裁決庁がいずこであるかを法律的素養に乏しい訴願提起者に判別させるのは酷である。しかも被控訴人は控訴人の数回に亘る陳情に対し訴願手続の方法、就中裁決庁に対しどのような手続を採るべきか指示教示する等憲法に定められた公務員の奉仕者たる義務をも尽さなかつたものである。
かかる見地よりして処分庁たる被控訴事務所が前述の如き態度で控訴人の陳情或は上申を拒絶している以上、上級行政庁たる裁決庁に対し仮令適法な訴願がなされたとしてもその結果は処分庁たる被控訴人事務所に於けると同様な裁決しか得られないことは客観的に容易に推認されるところである。故に右理由に基づく控訴人の訴願不提起は行政事件訴訟特例法第二条但書に云う正当事由に該当するものであり控訴人の主張を単なる独論なりとして却下した原審判決は明らかに同法の解釈を誤つたものである。
(二) 訴願を不可能にし或は期待し得ない事情が存在した。
被控訴人は前述の通り昭和三十三年五月二十八日控訴人に対し仮換地指定の通知をなしたのであるが控訴人は右通知後数回に亘つて仮換地指定の違法事由を上申しその変更撤回方を陳情した。しかるに被控訴人は右陳情を一切無視し事業施行を仄めかすのみであつたので控訴人は被控訴人に対し訴願提起を通告した処同事務所は本件に於ては訴願提起は不要なる旨述べたので控訴人はその言を信じ被控訴人の控訴人の右陳情に対する誠意ある回答を待つていたにも拘らず前述の如く被控訴人は何等の回答も与えず、しかもこれがため控訴人は訴願を提起するに必要な法定期間を徒過したものである。
原判決はこの点に関し右控訴人の立場を一応認める斯る場合訴願期間を遵守し得なかつたことの正当事由となると判示したが、これを以つて訴願不提起の正当事由となし得ないとしてこの点に関する控訴人の主張をもこれを認めなかつた。
然し控訴人が土地区画整理法第一二七条一項に定める訴願期間を遵守できなかつた責は前述の如く明らかに被控訴人にある。若し被控訴人が控訴人の訴願提起に必要な方法を指示していたならば適法な訴願を前述の法定期間内に提起し得たものである。これに加えて冒頭にも述べた如く訴願提起の期間が本件土地区画整法によれば一ケ月と定められ出訴期間に比し非常に短い期間であり訴願制度に於ける欠陥であること前述した通りである。
而して右期間を遵守できなかつた事由が、被控訴人の過失にも類する行為に基因するものであり又法律的素養に乏しい控訴人が右期間を徒過したものである以上控訴人に於て訴願不提起の正当事由が存するものと解すべきものである。この点に於ても原判決は失当なものと思料する。
(三) 訴願手続を経ることによる救済の遅延が控訴人に著しい損害をもたらす虞れがあつた。
控訴人の数回に亘る陳情に対し唯事業の施行を強行する旨反覆する被控訴人の態度よりして仮令訴願を提起してもその審理の間何時本件仮換地指定処分に基く事業施行がなされるか計り知れず(訴願提起は必ずしも執行を停止しないものであり、被控訴人の態度よりして不意に事業の施行がなされる可能性が顕著であつた)若し右施行がなされる時は控訴人にとつて著しい損害をもたらす虞れがあつたものである(詳細は原審三十四年十一月十六日、同二十四日付準備書面御参照)。原判決はこの点につき控訴人が本件仮換地指定処分の通知或は本件移転通知を受けてから直ちに本訴を提起していたならば格別本訴は本件仮換地指処分の通知後一年五ケ月以上経過してから提起されたものであるから著しい損害を生ずるおそれがあるとは認め難いと判示している。控訴人が本件訴を換地指定処分後一年有余経て提起したことは事実であるが、控訴人はこの期間中常に被控訴人事務所の作業員或は人夫等より家屋移転について威圧的な態度を示されその都度控訴人は本件家屋を移転することにより生ずる損害の大なることを右作業員或は被控訴人事務所に通告し事業施行を延期することに多大な努力を続けて来たものであり、本件訴を提起する期間常に被控訴人事務所の不意打的な事業施行を避けていたものである(被控訴人は本件訴を提起した直後控訴人の留守に乗じ本件家屋を破壊する暴挙も敢て為した)。故に本件訴の提起が多少遅れたとしても右の如き事情から判断すれば原判決の判示する如く控訴人に於て事業施行により著しい損害を生じないとの判断は到底なし得ないものである。従つてこの点についても前示特例法二条の法律解釈の誤があるものと思料する。
四、控訴人は原審に於て本件に於ける訴願不提起の正当事由及び本案に関する仮換地指定処分の違法事由を立証するため昭和三五年二月一六日控訴人及びその妻の証人申請をなした。然るに原審は同年三月三十日右証人尋問の必要性なしとして人証の申出を却下した。
然しながら右人証の申出は本件の争点を立証するに唯一の証拠方法と云うべきものであつてそれを顧みずしてその取調べをなさない原審の判断は明らかに民訴法第二五九条に違反するものであり(明治四一年(ワ)第六七号同年六月一六日大審民事一部決定、大審民録一四輯七二九頁御参照)この点からしても原判決は取消さるべきものである。